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目次
漢方の歴史
歴史のひとこま
漢方は非科学的?
漢方は古典が大切
漢方の必要性
漢方薬の剤型
漢方薬の品質
生薬の品質
漢方薬の効き方
効き目の不思議
漢方薬の副作用
漢方とのつき合い方
漢方はゆっくり効く?
漢方薬の飲み方
漢方を試してみたい病気
漢方薬の効き方の実際
漢方專門薬局の実際
漢方の歴史
 漢方は日本の伝統医学ですが、起源は古い時代の中国医学にさかのぼります。
 漢方の元になった古代の中国医学の原型は、紀元210年頃に編纂された『傷寒論(しょうかんろん)』においてすでに整っていました。
 中国医学が日本で利用された歴史は古く、大和朝廷が朝鮮(新羅)から良医を招き、天皇の病気を治してもらったこともあります。
 その後も、中国医学は様々な機会に日本に移入されました。
 特に室町時代になって、金・元時代に体系づけられた当時の新しい中国医学(李朱学派)は、戦国時代から織田・豊臣時代にかけての日本の社会によく適応しました。
 この頃より中国医学は日本に同化され、日本の医学として独自の発展をするようになっていきます。
 そして、江戸時代になると日本の医学としてますます発達し、中国医学とは異なる特徴を持つようになります。
 その間に、日本に西洋医学が入り、オランダ医学を蘭方とよんだのに対して、当時漢方は日本製の日本の医学を漢方とよんだのが、漢方という言葉のはじまりです。
 漢方は、発達の過程で古方派(こほうは)、後世方派(ごせほうは)、折衷派(せっちゅうは)などの流派があります。中国・後漢の時代の医書「傷寒論(しょうかんろん)」を特に重視するのが古方派(こほうは)、李朱医学(りしゅいがく)を中心として発達した学派を後世派(ごせいは)、双方の長所を取り入れて生まれたのが折衷派(せっちゅうは)です。
 二つの流派は最終的には浅田宗伯(あさだそうはく)によって折衷され、江戸医学が大成されたのです(浅田宗伯は江戸時代末期から明治時代にかけて活躍し、大正天皇の幼少期の侍医を務めた先生で、漢方全盛期の最後の巨頭といわれます)。
 さて、明治時代になると、西洋医学を重視した政府によって漢方は排斥され、社会から葬られてしまいました。衰退してしまった漢方は、一時はほとんどと言っていいほど途絶えました。しかし、一部の漢方薬と漢方の基本的な考え方だけは、ごくわずかな人々に受け継がれました。
 そして昭和初期に、一部の医師、薬剤師に注目され、その後の地道な努力の積み重ねで、漢方は再び少しずつ広まっていきました。ごく少数の医師によるもの以外は、薬局や薬店での取り扱いがほとんどでしたが、1976年(昭和51年)に漢方薬の一部に健康保険が適用されてから、医療機関での利用が増え、急速に漢方薬の需要が高まって現在に至っています。
 本家の中国の医学は、文化大革命(1966~1976)によって処方の仕方が大きく変わり、漢方と大きく異なるものになりました。現在の中国では、これを中医学(ちゅういがく)とよんでいます。
 日本では、漢方と中医学を混同している人が多いようです。
漢方の歴史の大略
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